2006-11-04 11:28:04
今日も青さんと朝までチャットをしてしまいました(^^;
「未来は既に存在しているのか?」(※)から始まって「既に未来が存在しているのなら、未来を変えようとしても、それも含めてそれが未来なのではないか?」とか、極めて説明しにくいんですが、、そんなような話題で延々と(汗
※ 私が言い出したんです…
車で時間を飛ぶ某映画の理論で、一直線の時間軸上に未来が存在するのか(過去を変えると未来も変る。ルートが1本の流れ)、木の枝のように無数の分岐があり、分岐の先にそれぞれの未来があるのか(過去を変えると別の未来へ行くルートを辿ることになる。ルートが分岐して増えていく流れ)…
色々考え方があります
以下、お馬鹿で無知な私が考えるコトですので、興味ない方は読まない方がイイです…。
私は「未来は一刻一刻出来上がっていくものだ」(時間が膨張していく)と、考えているわけです。
そして、未来は木の枝のように無数に広がっていくモノだと考えています。
図にすると↓の感じ
現在から過去に戻れるとした場合、現在から赴いた過去には未来(現在)が存在していることになります。
ですが、枝のように未来が存在しているならば、過去(10年前)に戻った時点でそこが分岐点になり新たな未来へのルートを辿ることになるので、そこから未来(10年後)へ飛ぶことは出来ません。
実質未来がないことと同じになります。
私の考えが直線上の時間軸概念を採用していない理由は、、
例えば、10年前に戻り石に文字を書き込んでそこに置いておき、現在に戻ってからその石を見れば文字が書き込んである事になります。
でも、過去に書き込みに行くまでは石には文字がなかったわけです。
書き込んだことで、10年前~現在の流れが全て書き換わってしまったことになります。
本人視点で考えると判りにくいので、家族がその石を知っているとするならば、自分が過去に行く前までは、家族の記憶は「石に文字はない」ですが、過去で書き込んで戻ってくることで「石に文字はあった」に変るわけです。
そうすると、過去に旅立つまで同じ時間を経てきた自分の記憶も書き換わらなければおかしいわけです。
記憶が書き換わったのならば「石に文字が書いてあるモノだ」と、そう思っているわけですから、書き込みに行くという行為が無くなってしまうのではないか?と思うわけです。
でも、書き込みに行かなければ石に文字はなくなるわけです。
ただ、記憶も変わることになりますから、永遠と「文字がない→書きに行く→文字がある→書きに行かない→文字がない→(略)」とループしていても気がつかないことになりますが、、、、
必ずしもループするとは限りませんし、過去に戻ってAをしたことによって、未来の自分が過去に戻ってBをして、Bになった未来の自分が過去に戻ってCをして、Cに成った世界の自分がDをして…と、延々と変わり続ける事になろうかと思うわけです。
それは目の前のモノが消えたり現われたりしてる事と同じなので、この直線上の説には無理があるのでは無いかと、そう思うわけです。
まぁ、そんな感じの話で朝まで盛り上がってたわけです。
一人で盛り上がって聞いて貰っていたというのが正しいかも(^^;
(Blogにするにあたり考えをまとめて載っけてみました。実際のチャットではもっとひどいやりとりだったんで…)
あと、文系理系な話にもなりまして、ちょっと思い出した 理系の人々 という記事(漫画)がありまして、これを見ると、所々当てはまるな…とか思ったりしている次第。
数学ダメですし理系って程でもないんですが、文系理系で分けるなら理系よりです
もうお昼ですが、ちょっと寝ます(^^;
「未来は既に存在しているのか?」(※)から始まって「既に未来が存在しているのなら、未来を変えようとしても、それも含めてそれが未来なのではないか?」とか、極めて説明しにくいんですが、、そんなような話題で延々と(汗
※ 私が言い出したんです…
車で時間を飛ぶ某映画の理論で、一直線の時間軸上に未来が存在するのか(過去を変えると未来も変る。ルートが1本の流れ)、木の枝のように無数の分岐があり、分岐の先にそれぞれの未来があるのか(過去を変えると別の未来へ行くルートを辿ることになる。ルートが分岐して増えていく流れ)…
色々考え方があります
以下、お馬鹿で無知な私が考えるコトですので、興味ない方は読まない方がイイです…。
私は「未来は一刻一刻出来上がっていくものだ」(時間が膨張していく)と、考えているわけです。
そして、未来は木の枝のように無数に広がっていくモノだと考えています。
図にすると↓の感じ
現在から過去に戻れるとした場合、現在から赴いた過去には未来(現在)が存在していることになります。
ですが、枝のように未来が存在しているならば、過去(10年前)に戻った時点でそこが分岐点になり新たな未来へのルートを辿ることになるので、そこから未来(10年後)へ飛ぶことは出来ません。
実質未来がないことと同じになります。
私の考えが直線上の時間軸概念を採用していない理由は、、
例えば、10年前に戻り石に文字を書き込んでそこに置いておき、現在に戻ってからその石を見れば文字が書き込んである事になります。
でも、過去に書き込みに行くまでは石には文字がなかったわけです。
書き込んだことで、10年前~現在の流れが全て書き換わってしまったことになります。
本人視点で考えると判りにくいので、家族がその石を知っているとするならば、自分が過去に行く前までは、家族の記憶は「石に文字はない」ですが、過去で書き込んで戻ってくることで「石に文字はあった」に変るわけです。
そうすると、過去に旅立つまで同じ時間を経てきた自分の記憶も書き換わらなければおかしいわけです。
記憶が書き換わったのならば「石に文字が書いてあるモノだ」と、そう思っているわけですから、書き込みに行くという行為が無くなってしまうのではないか?と思うわけです。
でも、書き込みに行かなければ石に文字はなくなるわけです。
ただ、記憶も変わることになりますから、永遠と「文字がない→書きに行く→文字がある→書きに行かない→文字がない→(略)」とループしていても気がつかないことになりますが、、、、
必ずしもループするとは限りませんし、過去に戻ってAをしたことによって、未来の自分が過去に戻ってBをして、Bになった未来の自分が過去に戻ってCをして、Cに成った世界の自分がDをして…と、延々と変わり続ける事になろうかと思うわけです。
それは目の前のモノが消えたり現われたりしてる事と同じなので、この直線上の説には無理があるのでは無いかと、そう思うわけです。
まぁ、そんな感じの話で朝まで盛り上がってたわけです。
一人で盛り上がって聞いて貰っていたというのが正しいかも(^^;
(Blogにするにあたり考えをまとめて載っけてみました。実際のチャットではもっとひどいやりとりだったんで…)
あと、文系理系な話にもなりまして、ちょっと思い出した 理系の人々 という記事(漫画)がありまして、これを見ると、所々当てはまるな…とか思ったりしている次第。
数学ダメですし理系って程でもないんですが、文系理系で分けるなら理系よりです
もうお昼ですが、ちょっと寝ます(^^;